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3331 スタッフによる 舞台裏レポート

2014年舞台裏: 奇跡の幕

「麹町に河鍋暁斎が描いた幕があるらしい」
山王祭に合わせた特別企画展を初めて手がけた2014年。私たちスタッフは、なにをどのように展示したらよいか、右も左もわからない状態から展示を計画し始めた。その年の展示監修に入っていただいた滝口正哉氏(東京都公文書館専門員 博士(文学))は、長年に渡り千代田区文化財室に携わり、地域へのフィールドワークや聞き取りなどを行いながら、文化財の発掘や保存活動に取り組まれている方である。

ある打ち合わせの席で、滝口氏が「麹町に河鍋暁斎が描いた幕があるらしい。展示させて頂けるか可能性を探ってみてはどうか」と端を発した。少々不確定な口ぶりだったが、「ちょっと知り合いの伝手をたどって聞いてみる」と仰り、しばらくすると麹町三丁目町会にある江戸時代から続く表具屋「得水軒」の主人・11代 遠藤三右衛門氏を尋ねるように言われた。

事前にお電話でお聞きしていたものの、目の前にそれが現れるまでにわかに信じがたかったが、畳の上に広げられた巨大な幕には、ひるがえす布の伸びやな線が走る蘭稜王の絵が見事に描かれていた。明治に作られた品が、市民の手で保存され続け現存している。まさに奇跡としか言いようがない幕である。


得水軒で保管されていた神酒所幕が、遠藤三右衛門氏の前で広げられた。

代々、この品を祭の時だけ神酒所に飾り、祭が終わればまたしまい込む。
これを幾度となく繰り返し、震災や戦火を逃れてきた。そしてなによりも、人々が大切にし続けてきた。さまざまな奇跡が重なり、現代に生きる私たちの目にも触れる機会につながっている。

幕は二重になっており、河鍋暁斎が描いた絵の裏面にはなにやら文字が書いてあるが、詳しいことまでは町会の人もご存知なかった。いつも絵柄がある面を表に飾るばかりだったので、裏に何が書かれているか追求されなかったようだ。


裏側をめくると筆で書かれた文字が現れる。


祭の時の神酒所の様子。蘭稜王がうまい具合に顔を覗かせる。

前年(2013)神田祭に関する展覧会を開催した際、私たちは全長270mの図巻をデジタルスキャンし、本物さながらの複製を制作・展示した経験があった。その時にご協力いただいたのは、当時創業100年を迎えたばかりの印刷会社、精興社。所持していたクルーズスキャンを活用し、非接触でレンズのゆがみもなく、立体物の凹凸も細やかに読み込む高性能スキャンが布目さえも読み込むくらいの高い精度で復元を実現して頂いた。

今回のこの奇跡の幕は、晴れても雨でも神酒所の幕として飾られてきた。きっとこの先も変わらない、と町会の人たちは言っている。つまり、特別企画展で本物を借りて展示する事が難しいばかりか、このままだと幕はただ朽ち果てていくことになる。私たちは、この幕を完全に複製することで、展覧会で神酒所に飾られる幕と同じものを再現しようと試みた。縦2m強×幅5m強もある幕を、どのようにスキャンするか知恵が絞られた。

いよいよスキャン本番の日。
神田錦町にある精興社には、遠藤三右衛門氏とお弟子さんが大事に本物の幕を持参された。私たちは、精興社の担当者(当時)である竹内氏のご協力のもと、いかに幕を傷つけず、摩擦を軽減して作業を行うか検討し、既存のクルーズスキャンの台に自作のパネルを設置することにした。当日は、3331施工スタッフ自作のパネルを分割して持ち込み、その場で台を組み上げた。


分割して運んだ土台を組み上げていく。

全長6m程の台座に幕を乗せ、スキャンが始まる。既存の台よりも大幅に長さを付け足している。台を支える足は、精興社の担当者の方が自作された。スキャンの動きに合わせて台がスムーズに滑るように高さを合わせ、制限されたスペースにはまるよう最小限の大きさで作られた。
発光するスキャンマシンをゆっくりと横切っていく幕を見送る遠藤氏


幕に触れるのは、遠藤氏とお弟子さんだけ。


ゆっくりと進むスキャン作業。

片面の撮影だけで一日が終わる。残りの片面は別の日に行う事に。幕は再び遠藤氏とお弟子さんが持ち帰り、次の機会を待つことになった。


大型作品のスキャン作業は、数少ない貴重な機会。精興社の社員の方も、その様子を記録している。

2日目の作業日。幕は再び大切に持ち込まれ、作業が再開した。
前回の作業経験が段取りをはかどらせるが、やはり本物を間近にする緊張感は変わらない。


遠藤氏のお弟子さんが幕の移動を見送る。

間近で見ると、100年以上前に描かれた絵柄がこれほど鮮やかに残っていることは、本当に奇跡だと再び思わされた。そして、その線の力強さに河鍋暁斎の画力の高さを思い知らされる。御茶ノ水駅前にあるニコライ堂や鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルは、河鍋暁斎に画を教わったといわれるが、彼らが本当にこの地にいたという歴史は、強度のある建築だけではなく、この儚い布に残された痕跡にも宿っている。


蘭稜王の顔がスキャンの光に照らされながら通り過ぎる。

スキャンマシンが置かれた部屋の端から端までを使ったスキャン作業は、扉を開けて一時的に部屋の外にも飛び出すほどの作業となった。
スキャン作業に余計な光は禁物なので、作業時は全ての照明が落とされた。
少し痛んでいた幕の布質が、神々しく光っているように見えた。


無事にスキャンが終了した。部分ごとに分割して撮影された画像を、色調や明るさを合わせてつなぎ合わせるところまで精興社・竹内氏の仕事は細やかだった。
再現に向けたバトンは、屋外幕などの広告幕を手がける株式会社セーレンに渡された。スキャン画像は、再現性の高い布プリントの技術を使い、実寸大で印刷された。完成した幕は、木綿の布地に近い質感となり河鍋暁斎の蘭稜王を見事に表出させていた。

アーツ千代田 3331の展示室では、全て広げた状態で裏表両面を見ていただけるように天井から吊るして展示した。吊り元となっている部分は、スタッフが太い針で手縫いした。両面刷りの布地も、スタッフが縫い合わせた。普段は御神酒所のテントに合わせて折りたたまれていた幕を広げると、こんなにも大きく長いということを町の人たちもなかなか見る機会がなかったようだ。
実寸大の幕の前に立つと、大きな幕の前で、大きな文字を書き、大きな蘭稜王の舞を描いた河鍋暁斎の気迫が迫ってくる。

この幕の複製作りは、町会の人にもとても喜んでもらえた。この取り組みに賛同してくださり、作業に参加してくださった皆様の力により、実現したのである。現在本物は、千代田区の指定文化財の指定を受け保存されている(平成30年に区に寄贈、令和元年5月に指定文化財に指定)。そして、山王祭の麹町三丁目町会の御神酒所には、今も蘭稜王の‘もうひとつの’幕が掛かっている。このように現代の技術を用いて歴史的な創作物を複製することも、後世に文化を伝えるひとつの手段なのではないかと思う。


河鍋暁斎(かわなべきょうさい)筆「舞楽蘭陵王図幕絵(ぶがくらんりょうおうず まくえ)」


杉山鶏児(すぎやまけいじ)書「大日本帝国憲法発布(だいにっぽんていこくけんぽうはっぷ)奉祝文(ほうしゅくぶん)」

担当:宍戸 遊美

お問い合わせ

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